
テープが剥がれ、床が汚れ、
「このままではルールが浸透しない」と焦った安全担当者たち。
“何かしなければいけない”
でも“決定的な方法がない”。
そこで、多くの現場が選んだのが
「パウチを貼る」という新しい内製化の方法 でした。
■ 安全担当者は、必死だった
当時は、今ほど便利なツールもありません。
だから、安全担当者はこう動きます。
・パソコンで注意喚起のデータをつくる
・プリンターで印刷する
・ラミネーターでパウチ加工する
・各現場へ配る
・壁や柱に貼る
まさに“自分たちの手で安全をつくる”という
熱い気持ちの内製化でした。
彼らの頭の中にあったのはただひとつ。
「これで、少しでも事故が減ってほしい」
努力は本物。
姿勢も正しい。
でも現場では、別の景色が見えていました。
■ 現場スタッフの本音は、まったく違っていた
パウチが貼られると、現場のスタッフはすぐに気づきます。
- 「字が小さくて読めない」
- 「壁に貼られても視線が床にあるから見ないよ」
- 「貼った直後はいいけど、すぐ剥がれて端が黒くなる」
- 「剥がれた跡で壁が汚くなる」
そしてこんな声まで出てくる。
「どうせ貼るなら、もっと綺麗にしてほしい」
安全担当者は「良くしよう」と作った。
現場は「見えない」と困っていた。
両者の思いは、
すれ違ったまま届かない。
■ パウチは増える。でも、行動は変わらない。
安全担当者は、改善しようと次々作る。
ルール変更
→ 新しいパウチを作る
→ 壁に増えていく
→ でも読まれない
しかし、いざルールが変わるとこうなる。
安全担当者
→ 「まず教育しないと」
→ 「でも貼らないと伝わらない」
現場
→ 「教育されても忘れる」
→ 「貼られても見ない」
改善のための努力が、
“貼る”か“教える”しか選択肢がない世界 に閉じ込められてしまった。
■ 視察の多い倉庫では、パウチそのものが問題になる
主や監査が来る現場では、
こんな指示も出始めます。
・「パウチは減らしてほしい」
・「壁が汚く見えるので撤去してください」
・「3S・5Sの観点では、掲示が多すぎる」
安全担当者は困ります。
貼らないとルールが浸透しない。
貼れば3Sに反する。
どちらを取っても怒られる。
だからと言って、現場で事故が起きたら最も責任を問われるのも安全担当者です。
それでも貼るしかなかった。 これはもう、正しい・間違いではない。
ただ、方法に限界があっただけです。
■ パウチは「頑張る人を苦しめた仕組み」になってしまった
安全担当者は現場を良くしたくて作った。
現場のスタッフは迷わず作業したくて改善を求めていた。
でも、パウチでは——
・視線が届かない
・文字を読む時間がない
・壁が汚れる
・情報が増えると逆に混乱する
・行動につながらない
努力が報われず、双方が疲れていく。
これは“誰が悪い”ではなく、
“方法の限界”が生んだ優しいすれ違いでした。
■ まとめ
パウチ文化は、
安全担当者の真剣な努力から生まれたものでした。
しかし、壁の情報は行動を変えない。
現場が見ているのは、床・動線・空間 です。
ここからようやく、
“情報を貼る”のではなく、
“行動を設計する”という考え方へと進んでいきます。


